この冬,私はずっと心の隅に置いていた未回収の選択に手をつけました。
高校1年生のとき,母と一緒に開けた左右1対のピアスホール。 校風はどこか海外のように自由で,耳に複数のピアスをしている子も珍しくありませんでした。
軟骨に開ける子もいて,「個性」がそのまま尊重される空気がありました。 さらに当時は,へそピアスが流行していて,雑誌でよく見かけた時代。へそピアスにとどまらず,鼻ピアスをしている友達もいました。
私はというと,そこまで大胆になる勇気はなかったけれど,「もうひとつ耳に開けたい」という気持ちだけは,ずっと心にあって,たびたび両親に訴えていました。
合計3つにしたい,と。
けれど母は言いました。
「入社面接でピアスの数をチェックする会社もある。一対までにしておきなさい。」
その言葉は,娘の将来を案じる現実的な忠告でした。
私は反論せず,願いを封印しました。
目次
20年後,環境が変わると正解も変わる
あれから約20年。
今,私はドイツで暮らしています。
将来をどう描いても,いわゆる“お堅い”日本企業で働く自分は想像できません。
ピアスホールが1対以上あっても,何の問題もない環境に身を置いています。
つまり,当時の制約は,もう存在しない。
そう気づいたとき,眠っていた願いが静かに目を覚ましました。
母に伝えると,返ってきたのは意外な一言。
「いいんじゃない?昔からずーっと言ってたよね。」
……あ,いいんだ。
あんなに反対していたのに。
時代も,状況も,人の考えも変わる。
あのときの母は,あのときの最善を尽くしてくれていただけだったのです。
まさかの夫ブレーキ
次に夫へ報告。
「え,そういうのって年齢上がるほど減っていくもんなんじゃないの?」
予想外の反応。
さらに追い打ちの一言。
「どうせ気持ちは決まってて,俺のこと聞かないんでしょ?」
……なぜ急に私が反抗期の高校生ポジションに?
開けると決まっていたはずの心が,少し揺れました。
親友たちの一撃
迷いながら,会った親友たちに相談。
「何悩んでるの?今日にでも開けなよ(爆笑)」
「痛そうじゃん……」
「子ども2人産んどいて何言ってるの?!」
大爆笑。
そうか。確かに。
あれに比べたら,耳たぶなど誤差の範囲。
この瞬間,覚悟が決まりました。
自己決定という,小さな宣言
「自分の体の自己決定権は,自分にある。」
大げさかもしれません。
でも,私にとっては重要でした。
昔の母の言葉に縛られていたわけではない。
ただ,“正しさ”を優先して選択してきただけ。
でも今は違う。
今の私が,今の私の価値観で選ぶ。
それだけのこと。
開けた瞬間は,拍子抜けするほどあっさり
ドイツでは病院でのピアッシングは一般的ではなく,アクセサリーショップやタトゥースタジオが主流。
私はどうしても医療機関で開けたくて,日本一時帰国中に皮膚科へ。
耳たぶを冷やすこともなく,位置を決めたら——
ガシャン。
終了。
想像よりずっと痛くない。
正直,料理中に指先を包丁で切ったときの方がジンジンする。
20年間温めた決断は,1秒で完了しました。
1つの穴が意味するもの

鏡に映る耳を見るたび,少し嬉しい。
たった1穴。
でも,私にとっては「自由の象徴」。
過去の自分に向かって言うような気持ちです。
——ついに願望叶えたよ。
【こぼれ話①】夫の真相
後日,なぜあんなに渋ったのかが判明。
私が
「ピアス,3つ目の穴開けたい」
と伝えたつもりが,
夫の脳内では
「3対に増やす」
に変換されていたらしい。
つまり6ホール。
……それは確かに動揺する。
「年齢が上がると減っていくものなんじゃないの?」発言の理由が,ようやく腑に落ちました。
【こぼれ話②】母のその後
さらに後日。
私の耳を見た母が言った。
「ちっちゃいピアスがアクセントになってていいね。私ももう1つ開けようかなぁ。でも,さすがにこの歳のばぁさんで3つ開いてる人はいないか。。」
……えええ!?
あんなに止めていた人が,今度は増やす側?
結局,「イヤカフ買おうかなぁ」と言っていました。
時代も,年齢も,立場も変わると,人はこうも軽やかに基準を更新するらしい。
おわりに
小さな選択かもしれない。 でも,自分で選んだという事実は確実に積み重なり,自信になります。
人生は,こういう“どうでもよさそうな決断”の連続でできている。
自分で決めたことには,自分で責任を持つ。
この冬,私はそれを耳たぶに刻みました。






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